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*ネタバレ注意* シン・ゴジラにおける「現実対虚構」の意味と結果

シン・ゴジラを観たので感想です。ネタバレを多分に含みますのでご注意ください。ぜひ読む前に映画をご視聴ください!

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本作品は、中盤、ゴジラが東京中枢へ到達し都市を火の海に沈めるシーンを境界として、その前後で明確に空気感が異なります。「現実対虚構(ニッポン対ゴジラ)」というのが本作品のキャッチコピーですが、これがメインテーマだとすると、この境界であるシーンで決着がついてしまっているのではないかと思いました。

前半での人間側の描写といえば、会議を重ねて時間を浪費する非効率な組織、有能な人材の発言を組織のメンツで封殺し、責任者は責任を取ることを恐れ、前例に縛られ決断を躊躇するかと思えば、根拠の無い楽観で判断を謝る、そういう「現実」です。「ブラック労働賛美」のような矢口と志村の会話も、前半で描かれたシーンですね。

また、前半では一般市民もわずかながら描写されます。政府に先んじて情報を拡散し、ゴジラ上陸後は逃げ惑う人、遠くからスマホで撮影する人、警察や消防の誘導で行儀よく避難する人…そういう人間たちが俯瞰で描かれています。かつての3.11を彷彿とさせるシーンもあり、ゴジラという大規模災害に対峙した東京の人々がどうなるのか、細かく丁寧にシミュレートされていたと思います。

そういう「現実」が、決死の抵抗むなしく(ここまでは、実在する兵器しか登場しません)、破壊されてしまうのです。米軍の空爆を切っ掛けに覚醒したゴジラの熱線で、都市は火の海に沈み、放射能で汚染され、政府の中枢である主要閣僚はまとめて死亡。「現実対虚構」は、ここで現実が敗北するという決着をみています。

では一敗地にまみれた「現実」が、このあと「虚構」に対し逆襲するのかといえば、さにあらず。

後半になると、前半であれだけ描写されていた「無能な人々」は完全に姿を消します。主人公である矢口と赤坂、巨災対のメンバーは言うに及ばず、多摩川防衛で惨敗を喫したに関わらずニヒルな笑みとともに作戦をまとめる自衛隊幹部、米国からの圧力に対して、第三国であるフランスを巻き込んで手練手管で渡り合う政治家、一度は外圧に屈するものの、自身が責任を取る覚悟とともに決断する首相代理、名前の無いモブに至るまで、各自の役割を強い意志とともに遂行する有能な人間ばかりが描かれます。

ゴジラに対抗するための兵器も、無人在来線爆弾のような、現実において兵器とは到底呼べないものが出てきます。

要するに、後半は人間側までもが虚構となるのです。虚構の日本人が創意工夫と努力で虚構のゴジラを封じ込める、「普通のヒロイック映画」となっている。「現実」は敗北したまま、「虚構」に上書きされてしまったのです。

挙句、ラストシーンの赤坂のセリフ「この国はスクラップ・ビルドによってのし上がってきた。大丈夫だ」ですよ。なんという絶望感でしょうか。

まあ、もうちょっと好意的に解釈すると、後半は「日本人がこうあってほしいと思う」日本の姿なのかなという気もします。核分裂機関を持ち、液体注入によって沈静化されるゴジラを、福島第一原発になぞらえて語る人も多いですが、こんなふうにわかりやすく無害化されてほしいと望む人は多いでしょう。ゴジラから放出された「未知の放射性元素」の半減期がやたら短いというご都合主義もそうです。また、矢口が「政治家の責任の取り方は自身の進退だ」というのも、日本人の多くが、かっこいいと思う政治家の信念でしょう。

現実の日本は一度破壊され、後半で描かれる日本は虚構であり願望、そう考えると、後半の諸々が腑に落ちる気がするのです。

まあそれはそれとして、個人的ハイライトシーンは「無人在来線爆弾、全機投入!」と、終始無表情だった尾藤ヒロミが、最後に安堵の笑みを浮かべたところでした。

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